世界が武力とお金とウソで支配されていることに気が付いてしまうと、どうしても世界の闇ばかりに目がいきがちです。
弱肉強食の世界で起こる数々の事件を調べれば調べるほどウンザリするのは、人類の底なしの欲望です。自分の利益になるのなら、騙しだって盗みだって殺しだって平気でやる。Micheal JacksonがMONEYという曲で訴えていた通り。
しかし、もっとも恐ろしいのは、そういう底なしの欲望を抱えているのが一握りの人間ではなく、人類の大部分だということです。
他者の犠牲に対して悲しみも感謝もせず、犠牲を少しも抑えようとしない傲慢な人間は、人のあるべき姿ではありませんから、「ヒトデナシ」と呼ぶことにします。
ヒトデナシがやっていることはこれ↓
ヒトデナシは、その底なしの欲望を満たすために、他の生き物たちを大いに犠牲にしているのです。ほとんどすべての生き物は、生きるために他の生き物を犠牲にしなくてはならないという宿命を負っていますが、ヒトデナシの場合、その犠牲の程度がもはや限度を越えています。
他の種族の多大なる犠牲でも満足できず、同じ種族の人間を殺すことさえ常なのですから、ヒトデナシは地球史上稀にみる強欲な生き物と言えるでしょう。
あなたはヒトでしょうか?それともヒトデナシでしょうか?
きっと自信を持って「ヒトだ」と答えられる方は少ないでしょう。
それは僕も同じです。今のところ、僕はヒトとヒトデナシの間を生きています。
僕は自分が犠牲にしている命たちに気付き、その犠牲に悲しみと感謝の念を感じていますが、自分の生活を顧みてみれば、それはヒトデナシの社会にほとんど依存した生活です。
なぜヒトデナシに堕ちるのか?そして、なぜ僕らはそのヒトデナシの社会に依存しているのか?その答えは「分業と交換」にあります。
「分業と交換」を行うことで、人類は物質的な豊かさを獲得していきました。しかし、その一方で、ひとりひとりの生活は単純化され、他の生き物たちを犠牲にして生きているという感覚を希薄にしていきました。豊富な品々を悲しみを感じることなく手にできる社会は「楽」ですから、僕を含めて人類の大部分が依存する結果となったのです。
しかし、「楽」は必ずしも「善」ではありません。むしろ、「楽な方へ楽な方へと進んでいったはずが、気が付いた時にはどうにもならないほど苦しい状況に陥っていた」というのが大半ではないでしょうか。そのことを鋭く指摘するアニメがこれ↓
「楽」を求めて「分業と交換」をし続け、ヒトデナシに支配されてしまったこの世界。守るに値する世界を創るには、ヒトデナシを減らしてヒトを増やすしかありません。そのためには、僕たち自身の生活に本当に必要なものを見極め、「分業と交換」に依存しすぎない生活を築き上げればよいのです。いままで犠牲にしてきた精神的な豊かさを取り戻しましょう。
物質文明の衰退は怖いですか?不安ですか?
それなら、僕らがすでに与えられているものを数えてみましょう。
まず、食について。
平成25年9月作成の農林水産省の資料によれば、〈農業生産から消費に至るフードチェーン全体で、世界の生産量の3分の1にあたる約13億トンの食糧が毎年廃棄〉されているそうです。
このグラフだけ見ても、僕たち日本人やその他のいわゆる「先進国」に住む人々が、いかに食に恵まれているか分かるでしょう。
さらに、平成22年度推計によれば、日本で「年間約1700万トンの食品廃棄物が排出」され、〈このうち、本来食べられるのに廃棄されているもの、いわゆる「食品ロス」は、年間約500~800万トン含まれる〉そうです。
そして、この食品ロスの量は〈世界全体の食料援助量の約2倍〉で、〈日本のコメ生産量に匹敵し、日本がODA援助しているナミビア、リベリア、コンゴ民主共和国3カ国分の食料の国内仕向量に相当〉する。