☆さとり世代の革命児。
この世界が武力とお金とウソで支配されていることを若くして悟ってしまいました。
善い人ほど早く死に、悪いヤツほど生き長らえる…こんな狂った世界を守るに値するものに変えようと日々もがいています。
政治権力の奪取や武力闘争を考えた時期もありましたが、結局それは上手くいかないので、現在は私たちひとりひとりが調和を目指して変化していくしかないと思っています。世界的な暴力とお金とウソによる支配を打破しようと思うなら、まずは自分自身の改革から始めましょう。そして、自分の身の回りに少しずつその改革の波を広げていきましょう。
なお、従うのは自身の良心のみで、いかなる宗教にも属しません。死後の世界については重要な研究と考えていますが、絶対に存在すると断言するほどの確証は得ていません。ただし、自分や身近な人の体験から、死後の世界はあるのではないか?と感じています。
☆動植物との可能な限りの共存共栄を目指しています。
人は衣食住を求める中で、動植物を傷つけ、命を奪っています。人にとって殺生は避けられないことですが、可能な限り殺生をせずに、動植物との共存共栄を目指していきたいです。動物と植物のどちらかを殺さなければならない場合、私は植物を選びます。動物の方が自分により近い存在と感じられ、動物に共感してしまうため、殺すのには相当な苦痛が伴うからです。もちろん、植物を殺さずに、植物からの恵みを頂くだけで生きていく方法があれば、それを追求していきたいです。
☆できるだけ自給自足を目指しています。
今の資本主義社会で生きていくのに絶対に必要となるのは、衣食住と税金です。多くの人は、稼いだお金でそれらすべてを用意しようとしているわけですが、その過程で非常に大きな代償を払っています。ある人は仕事を優先するあまり、家族や友人、信条や健康、最悪の場合には命をも犠牲にしています。また、他人を傷つけ、騙し、殺してでもお金を手に入れようとする者さえいます。さらに、人類全体で見れば、自然環境を深刻に破壊するだけの生産・消費・廃棄を繰り返しています。
このようなお金偏重主義の弊害を打破するためには、人々ができるだけ自給自足をすることで自身の生活と世界との結びつきを実感し、他者との調和、世界との調和に目覚める必要があります。現在は低自給率(T_T)の私ですが、少しずつ自給率を高める努力をしています。
☆悪徳企業に対する不買運動をします。
自給自足できないものは誰かから買うことになるわけですが、「何を誰から買うのか」は非常に重要です。なぜなら、私たちが何かを買うとき、それを生産するのに関わった企業にお金が流れ、それらの企業の社会的影響力を大きくするからです。
つまり、社会の形は、僕たちが「何を誰から買うか」で確実に変わるのです。「確実に」です。不正が行われる不確実な選挙ごっことは違うのです。
確実に社会を変えるのは、大々的な選挙ごっこではなく、私たちの日々の買い物なのです。完全な自給自足でない限り、どうしても悪徳企業にお金を落としてしまうかもしれませんが、その額をなるべく小さくしましょう。また、悪徳企業のものを知らずに買ってしまわないように、企業情報を共有しましょう。もちろん、悪徳企業とは反対に、善良企業は応援します!
☆イジメ撲滅を目指しています。
イジメの絶えない世界は守るに値しません。まずは日本からイジメを撲滅しましょう。私自身は、残念ながら、イジメの加害者・傍観者・被害者のすべてを経験してしまいました。
私が加害者になった時は、自分の居場所が奪われたと感じた時でした。小学生時代の転校生F君、中学生時代のよきライバルだったはずのS君には、本当に申し訳ないことをしました。数日、数週間の短い期間でしたが、私の悪意のある態度はF君、S君を傷つけてしまったでしょう。本当にごめんなさい。
私が傍観者になった時は、自分がイジメに立ち向かう勇気のない時でした。小中高時代を通じで、たくさんのイジメを目撃してきたにも関わらず、それを止められませんでした。今は本当に後悔しています。
これらの罪のせめてもの償いとして、身近なイジメの解決を切っ掛けに、そのイジメがあった組織全体を善の道に入れる方法を確立したいと思っています。
☆「くたばれ社会人祭り」を主催しています。
本来、社会にはすべての人が含まれています。しかし、「社会人」という言葉は、学校を卒業しただとか、会社で働いているだとか、とにかく何かの基準を満たした人だけが社会に含まれているかのような錯覚を作り出す非常に有害な言葉です。人々がこの言葉を使えば使うほど、「社会人」に含まれない人たちは社会に含まれていないと錯覚し、社会に対して無責任になったり、疎外感を感じたり、社会に対する興味関心を失っていきます。また、「社会人」に含まれた人には「社会人なんだから〇〇〇」という理不尽な呪縛がつきまとい、息苦しい生活を余儀なくされるのです。まさに、百害あって一利なし。
この「社会人」という最悪な言葉を捨て去り、すべての人が含まれる社会を取り戻すお祭りが、「くたばれ社会人祭り」です。
☆芸術こそ最高に価値のあるものだと思っています。
芸術は、武力とお金とウソによる支配を超越して、世界に価値を創り出します。そして、芸術はだれもが手にすることができます。決して美術館に飾られている名品や、華やかな舞台の上から届けられるものだけが芸術ではないのです。たとえば、あなたが大切な人のために心を込めて描いた絵は、間違いなく芸術です。世の名画に比べれば技術的には劣っているかもしれませんが、あなたと大切な人の間では、何にも代えがたい宝です。私たちひとりひとりが芸術を手にすることで、この世界はより価値ある、守るべきものに変わるでしょう。
私自身が芸術活動を行うだけでなく、街がより多くの人の芸術で美しく彩られるような仕組みを作りたいと思っています。
☆日本とシラフ共和国とノースモーキングダムの三重国籍です(笑)
酒やタバコなどやらなくても十分に幸せを感じることができます。というか酒もタバコも苦手です(^_^;)。特に、タバコの煙は嫌っていても避けられない場面が多く、愛煙家と嫌煙家が上手く付きあっていく上で必ず問題になります。タバコの人体や環境への影響や火事の原因になるという特徴も無視できません。また、酒も飲みたくない人にまで無理強いするような場合や、飲んだ結果として暴れたり吐いたり倒れたりする場合は、本当に最悪です。
行儀のよい愛煙家・愛飲家の方が増えれば、私たちの世界は確実に善くなるでしょう。
☆共に闘う仲間を募集中です!
闘いの大方針は、
①長期戦:50年後~100年後の勝利を目指し
②持久戦:勝ち目のない直接対決を避けて生き残り
③ゲリラ戦:日本をはじめ、世界各地にヒトの生活圏を創りながら
④補給遮断戦:ヒトデナシの数を減少させ、ヒトの数を増加させる
です。
孤独に闘っていても万に一つの勝ち目もありませんから、
闘うのなら仲間と協力する以外ないと思うのです。
仲間というのは対等な横の関係です。
共通の目的・方針をもって自分の意志で闘う仲間なのです。
仲間のリーダーは僕ではなく、共通の目的・方針そのもの。
私が死んでも、仲間が生き続け、目的が達成されればそれでいい。
さらに具体的な戦略(ネットで公開しないほうが良いものも含む)については目下考案中ですが、仲間が意見を出し合えば、より良い戦略が生れるでしょう。
とにもかくにも、
こうような大規模かつ長期的な闘いを成功させるには仲間との協力が絶対に必要です!
いままでの経験から、
「私と同じように世界の狂気に気付いてしまい、
なんとかしようともがき苦しんでいる人と一緒に生きるべきだ」
と悟りました。
皆のためにと思い懸命に努力してきたにもかかわらず、その皆から理解されず、酷いときには罵倒されるという深い孤独を知っている人同士ならば、互いに死ぬまで、いや、死んでも大切にし続けられるでしょう。
私は死んだら、仲間の守護霊になる予定です(笑)
私は、自分たちが歳をとったときに、子世代や孫世代とも温かく強い絆で結ばれているような仲間を一緒につくりたいです。孤独を知っているからこそ、絆を大切にしたいのです。