第一章の二節で指摘した歳出と歳入の差のほとんどを埋め合わせてきたものとは、日本国債の発行によって生み出された資金である。日本政府の抱える債務残高は、国債等(国債・国庫短期証券・財融債)と地方債を合わせると表1に見るように1023.3兆円に上っている。
表1:国債等の保有者内訳(注2)
しかし、これは債券の所有者が同額の莫大な資産を有価証券という形で所有していることを示している。そして、国内の債権者がそのほとんどの937.2兆円を所有している。実は、市場において日本国債は一種のお金として機能しているのだ。
ただし、日本国債は現金・預金と違った点がいくつかある。まず、日本国債は(1)償還期を迎えると購入時の価格に金利を上乗せした額の日本銀行券と交換でき、(2)償還期を待たずに市場で売買をすることができるため、(3)既発国債の価格や新規国債の金利が国債市場の動向に左右される。
したがって、国債はその価格や金利が安定しているときは安定資産として機能するが、激しい物価変動があるときにその資産価値が増減してしまうため、常に経済の安定化の不安要素となる。
たとえば日本経済のインフレ率が高まれば、国債の含み損を恐れて国債所有者が国債を売却する確率が高まる。国債の売却が進めば、国は既発国債の価格を下げると共に新規国債の金利を上げて、投資家にそれらの購入を促す。しかし、それは既発国債を大量に抱えている金融機関や企業や投資家の資産減少と、国債金利に連動した金利を設定している住宅ローンなどの債務者の債務増加を意味する。その資産減少と債務増加は企業や個人の所有債権売却の確率を高め、最悪の場合には、それが引き金となって信用収縮が発生し、企業や個人が債務超過のために連鎖倒産や自己破産する可能性もある。ゆえに、国債は必要がないのなら発行するべきではないのだ。
それでは、なぜ国は国債を発行し続けたのだろう。私は三つの理由があると思う。一つ目は、国の発展を維持するために歳入を大きく上回る歳出をする必要があったこと。二つ目は、銀行の自己資本増強を助けようとしたこと。そして最後の三つ目は、政府自身が貨幣発行権を持っていることに気が付かなかった、もしくは気が付いていたが使えなかったことだ。
三つ目については二章以降で論じていくとして、ここでは一つ目と二つ目について論じよう。すでに国債が経済に与える潜在的な悪影響について述べたけれど、政府が所有する貨幣発行権を行使できないのであれば、国債を発行して信用創造をし、国の発展を維持しようとするのにはそれなりの妥当性がある。
その妥当性を説明するために、まずは国債発行が政府と銀行の連携による信用創造であることを説明する。そもそも、銀行による信用創造とは、誰かの預金と負債をもとにして預金という形でお金を創造することだ。ただし、銀行は、預金に対する支払準備金を一定の割合で日銀に預けなければならない。
民間銀行以外の民間資産をA、負債をD、
民間銀行の資産をAB、負債をDB、
政府の資産をAG、負債をDG、
現金をMP、支払準備金をMR、支払準備率をr(0≦r≦1)、国債金利をi、
預金をMB、現金+預金をM、M + 債券をL
として、
D = 0
A = MP + MB
DB = MB
AB = MB
DG = 0
AG = 0
M = A + AB + AG = MP + 2MB
L = MP + 2MB
であったとする。ただし、何も単位が付いていないときの単位は円とする。このとき、政府との連携の下、銀行がMBすべてをMRに繰り入れれば、政府は最大でMI = MB(1-r)/r 円の国債を発行して銀行に売ることができる(注3)。
そして、政府は銀行が創造したMI円を使って公共事業を行ったとすると、
D = 0
A = MP + MB + MI
DB = MB + MI
AB = MB + (1 + i)MI円国債
DG = (1 + i)MI
AG = 0
M = MP + 2MB + MI
L = MP + 2MB + MI + (1 + i)MI円国債
となる。したがって、
ΔD = 0
ΔA = MI
ΔDB = MI
ΔAB = (1 + i)MI円国債
ΔDG = (1 + i)MI
ΔAG = 0
なので、銀行以外の民間純資産はMI、銀行の純資産は(1 + i)MI円国債-MIだけ増加する。また、民間資産から政府が税金の徴収をして国債を償還するまでの間は、L = MP + 2MB + MI + (1 + i)MI円国債もの資産が市場で機能する。
ΔL = MI + (1 + i)MI円国債
なので、国がMI = MB(1-r )/ r円の国債を発行したことで、実にMI + (1 + i)MI円国債もの資産が市場に投入されたことになる。もちろん、負債も(2 + i)MIだけ投入されたが、人々が一度に銀行からMI円も資産を引き出しに来ることはないし、(1 + i)MI円国債はしばらく償還されない。
さらに、銀行の自己資本(AB-DB)に注目すると、
Δ(AB-DB) = (1 + i)MI円国債-MI
だから、銀行の自己資本は(1 + i)MI円国債-MIだけ増加したことになる。そして、国債の価値が額面通り評価されている間は自己資本がiMI円増加したのと同じなので、その自己資本を元手に様々なものを購入したり更なる貸し付けを行うことができるのだ。
ただし、貸したお金が絶対に返ってこないと分かれば、債権が焦げ付いてしまい、増加したと思っていた自己資本も減少してしまう。このとき、銀行がすでに信用創造して手に入れたお金を使い込んでしまっていたら、自己資本比率が要求される基準を下回りかねない。これは問題である。
したがって、銀行は借り手の返済能力に見合った貸し付けをしなくてはならないので、特定の企業や個人に対して無限にお金を貸し続けることはない。しかし、政府は国債という信用度の高い資産を発行できるため、国債を発行し続ける限りは銀行からお金を借りられる。そうすることで、政府は税金を増加させなくても公共事業を継続できるし、銀行の自己資産も増えるから、銀行も国際的な金融規制であるBIS規制の定めるところの自己資本比率8%を達成しながら民間企業へもお金を貸し続けることができるのだ。
それでは、もしも政府が今よりも税金を徴収して国債を償還しようとしたらどうなるのか。国債を発行して公共事業を行ったあとの先ほどの例で考えると、政府は国債を償還するために(1 + i)MIの税金を徴収するから、
D = 0
A = MP + MB-iMI
DB = MB-iMI
AB = MB
DG = 0
AG = 0
M = MP + 2MB-iMI
L = MP + 2MB-iMI
となる。したがって、国債を発行した後の状態からの落差Δ1は、
Δ1D = 0
Δ1A =-(1 + i)MI
Δ1DB =-(1 + i)MI
Δ1AB =-(1 + i)MI円国債
Δ1DG =-(1 + i)MI
Δ1AG = 0
Δ1M =-(1 + i)MI
Δ1L =-(1 + i)MI-(1 + i)MI円国債
となる。このようにしてみると銀行以外の民間部門が損をしているように見える。そして、通貨供給量も大幅に減少しており、民間部門は徴税前まで
M = MP + 2MB + MI
L = MP + 2MB + MI + (1 + i)MI円国債
のつもりで立てた経済計画に従っていたのだから、新たな通貨供給を行わなければ確実にデフレ不況となる。
また、国債を発行する以前の最初の状態と国債の償還時の状態との落差Δ2は、
Δ2D = 0
Δ2A =-iMI
Δ2DB =-iMI
Δ2AB = 0
Δ2DG = 0
Δ2AG = 0
Δ2M = -iMI
Δ2L = -iMI
となる。つまり、政府が税金を徴収して回収しようとすると、国債を発行する前の水準より銀行以外の民間部門の純資産はiMIだけ減少してしまう一方で、銀行の純資産はiMIだけ増加するのだ。国債を発行した後に税金で償還すると、実は民間が損をして銀行が得をするのだ。しかも半端な利益ではない。現行の日本銀行が定める支払準備率に照らし合わせ、仮にr = 0.013(注4)、i = 0.0111(注5)だとしたら、iMI = iMR(1-r)/r ≒ 0.84MRだ。銀行は人々の預金MBをそのままMRに繰り入れて信用創造し、政府の要求する通り国債を買っておけば、もともとあった預金MBの約84%のお金を《自己資本》とすることができるのである。それは銀行が人々の預金と預金準備制度のみを根拠に作り出しているにもかかわらずだ。しかも、銀行は国債発行された瞬間に同じくらいの利益を既に得ているのである。なぜなら、国債が価格を維持したまま銀行の資産として計上されている限り、それは預金の担保として機能するから、国債の発行と公共事業で新しく市場に創造されたMI円のうちのかなりの部分を《自己資本》として使えるのだ。
はっきり言えば、これは国債制度と預金準備制度を利用した銀行による詐欺である。人々が汗水たらしながら働いてやっと作り出した価値に対して、銀行家が国債を買うという仕事はその約84%の価値があると思うだろうか。銀行家は手荒れやあかぎれに耐えながら厨房の裏で大量の皿洗いや清掃をすることも、冷え切った深夜の物流倉庫で朝までひたすら大量の荷物を仕分けることも、気まぐれな天気と付き合いながら毎年一定収量の野菜や穀物を育てようとすることもない。銀行はすべての債券の中で最もリスクの低い国債を買うという契約をするだけである。
もう一度言うが、これは銀行による詐欺である。私は、大変な決済業務や民間部門への貸出業務に従事する末端の銀行員を非難するつもりは全くないが、創造したお金で国債を購入するだけで努力もせずに莫大な利益を得る銀行の所有者は非難されてしかるべきだと考える。国が信用創造をするために国債を発行するのは仕方のないことだと考えるのならば、それは国自身が貨幣発行権を活用できていないだけだ。
さて、以上のような銀行の信用創造と国債の仕組みから、政府が貨幣発行権を活用できないのであれば、政府は国の発展を維持するために国債の発行をやめられないし、銀行にとっても国債購入は大変旨みのある商売なので国債を買い続けるのだ。その結果、グラフ5に見るように、国債残高が増える一方で国債金利は低下の一途をたどっているのだ。
グラフ5(注6):公債残高とその利払費と金利の推移
しかし、実際には、いつまでも国債を発行し続けられる訳ではない。今のところ国債の価格が維持されて金利も下がっているので問題はないが、インフレが起きれば前述したような連鎖倒産と自己破産を伴う大不況に陥りかねないのだ。
また、BIS規制によって国際業務を行う銀行は自己資本比率8%以上、金融庁の自己資本率規制によって国内業務を行う銀行は自己資本比率4%以上を要求されているが、この自己資本比率=自己資本/リスクアセットのリスクアセットに国債が含まれるようになれば、たちまち国債売却の確率が高まったり、民間部門への貸出が制限され、信用収縮が大不況を引き起こすだろう(注7)。
結局、国債を発行し続けて維持される経済発展は、国債価格や国債金利、物価、為替などの変動に大きく影響されるので、大不況に陥る潜在的な危険を抱えていることになる。本来、私たちの政府は貨幣発行権を持っているのだから、銀行の所有者を肥やしながら国債発行という危険な手段に依存し続ける必要などないのだ。政府の貨幣発行権については二章以降で詳しく述べる。
注釈
(注2)出典:以下より作成。
・資金循環統計(2012年第3四半期速報):参考図表 11頁、13頁
(2013年1月15日閲覧)
(2013年1月17日閲覧)
(注3)
銀行が信用創造によって貸し付けることのできる金額の合計MIは、初項(1-r)MB、公比(1-r)の等比級数だから、
MI = (1-r)MB + (1-r)2MB + … +(1-r)n-1MB
(1-r) MI = (1-r)2MB + … +(1-r)n-1MB + (1-r)nMB
の差をとって
rMI = (1-r)MB-(1-r)nMB
MI = {(1-r)MB-(1-r)nMB }/r
となり、n→ ∞のとき、0 < 1-r < 1だから
MI = MB(1-r)/r
(注4)参考:日本銀行 準備預金制度における準備率 公表データ
(2015年6月12日閲覧)
(注5)参考:財務省 普通国債の利率加重平均の各年ごとの推移(昭和50年度末以降)
(2015年6月12日閲覧)
(注6)出典:我が国の財政事情(平成24年度予算政府案) 平成23年12月 財務省主計局 6頁
(2013年1月18日閲覧)
(注7)参考:大和証券 Legal and Tax Report 日本国債格付けとバーゼル規制(改訂版)資本市場調査部制度調査課 吉井一洋(2011年8月16日)